お米の宿命


 少し刺激的なタイトルです。
 この内容は、お米を何かと比較しているわけではありません。
 単純に、稲作農家として感じていることです。

 稲作農家は、ある意味「とてもしあわせ」だと思います。

 反論はあるかもしれませんが、それをを恐れずに、2つのことを書きます。
 1つは、稲の世界では、稲にとって望ましい環境であるほど、お米は「大粒」になります。
 2つは、大粒なほど、おいしく、また、かみ応えもあります。

 品種によっていろんな違いがありますが、これは、「同じ品種で、同じ条件で育った稲」についてです。

 次に、なぜ「しあわせ」かについてです。
 これは一言で言えます。
 稲にとって望ましい環境であれば、おいしいお米になるということです。
 つまり、特別なことをしなくても、稲に気を配ることが、おいしいお米につながるのです。

 これは、大変ありがたいことであり、がんばり甲斐があることです。
 さらに付け加えれば、「稲にとってお米が完熟したときが、最もおいしい」と思います。

 日本は、本当に、稲作に適していると思います。

 現実には、稲の環境を整えるために、農業者のできることは限られています。
 これら全部を含めて、今年もがんばります。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です