一昨日のいつもの電柱です。だいぶ少なくなってきました。
さて、農業を巡る変化について、さまざまなとらえ方があると思いますが、その1つから考えると「メジャーからマイナーへ」というのがあると思います。
江戸時代には、人口の9割以上が農民だったと聞いたことがありますが、その割合はどんどん減ってきました。
このことは「兄弟や親が農業に携わっている人」の減少も意味しています。
さらにいえば、「祖父母や親戚が農業に携わっている」という人も減少しています。
人々と農業との距離が徐々に遠くなってきています。
何年か前、お世話になっている方にバケツ稲を届けました。
せっかくなので、「土の入ったバケツ」と「稲の苗」をお渡しし、田植えをしてもらおうと考えました。
受け取った方は「田植えは久しぶり。小学校の教育田以来です」とのことでした。
野婦行との距離が広がるなかで、新しい関係もあるのかと感心しました。
それよりも少し前の話です。
当時は、「農業は日本のお荷物だ」などと、農業に対して非常に厳しい時代でした。工業製品の輸出拡大のためには、貿易不均衡と言われないよう、農産物など輸入を増やすべきとの強力な論陣が張られました。
この時、ある集会で、経済団体の役員の方が「農業攻撃の背景の1つには『兄貴がんばれ』の意味もある。長男が農家の跡取りとなることが一般的であり、次男三男は都会に出て働いたり、会社を興したりしている。『自分たちも頑張っていることを兄貴にもわかってほしいし、もっと頑張ってほしい』と思っている。応援の意味もある」と話されました。
日本はここ数十年、自由貿易(正確に言えば、一般に言われている自由貿易は、外国に対して公平に貿易の機会を開放するということではありません)をすすめてきました。
農業者は、農業協同組合に結集し、研究者や消費者団体をはじめ広範な方と歩調を合わせて、農産物の輸入拡大に反対を唱えてきました。
ミカンについての資料を紹介します。
https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n0208re1.pdf
客観的には、農業従事者は減少し続け、年齢も上がっています(平均で65才を超えています)。
さまざまな要因はあると思いますが、この傾向は続くものと思われます。
「親父・お袋の跡を継ぎたいとは思うし、大切な仕事とは思うが、自分は別の仕事に就く」と子供に宣言されても、「頑張って継いでほしい」とは言えないのが、農業の現状です(もちろん、農業以外にも同じような状況にある産業?はあると思います)。
TPP協定について、JAは「最大限の反対」を行っていません(賛成とは言っていません)。このことの善し悪しは論じませんが、時代の変化を感じます。
ここ数十年、専業農家は「oitekebori(おいてけぼり)」です。
今回は、時代は動いているというお話しでした。
次回から本論に入ります。