農業現場から平成を考える


 「平成」最後の日となりました。
 元号が代わっても全てが変わるわけではありません。どちらかというと変わらないものの方が多いと言えます。
 一区切りではありますので、農業現場から考えてみます。

 全体を一区切りにはできませんが、現場ならではの視点でこねこねします。
 それにしても30年以上、一(ひと)世代とも言えます。

○農業者のモチベーションは、上がって、下がってです。
 平成の初めは、「規模拡大をすれば国際競争に対応できるのでは」という雰囲気がありました。
 米(コメ)の世界にも「市場原理」が強まり、「評価されるものを作れば、消費者に受け入れられ、価格にも反映される」というムードがありました。
 大規模経営を行い、有力な輸出国でもある合衆国(アメリカ合衆国)への視察もよく行われました。
 平成5年の米の大凶作以降は、米価は下降基調となり、農業経営の先が見通せない状況となりました。
 盛んにいわれた「コメの有利販売」や「コスト低減」の意味合いも変わってきました。販売価格を上げて所得を増やすとか、コストを引き下げた分所得を増やすということから、とにかく売れ残らないようにすることとか、販売価格が下がって所得があまり下がらないようにコストを引き下げるということが盛んに言われるようになりました。

○農業構造が大きく変わりました。
 以前は、専業農家の子弟は、家を継いだり、近くに勤めに出ながら農繁期には手伝ったり、というのが当たり前でした。
 一世代が経過すると、家を継いだ子弟は親世代となります。農家子弟でも、勤めに出るのが当たり前になり、親世代ががんばって農作業を回しています。
 「自分が土台を作って次代に農業を引き継ぐ時代」から「自分が元気な内は農業をがんばる。残念だが、がんばれなくなれば勘弁してほしいという時代」となりました。
 「新規就農者が増えたのは明るいニュース」との意見もありますが、この新規就農には「農業を営む会社への就職」もかなり含まれています。農家も、農業会社の従業員も、農作業に従事することは変わりませんが、違っている面も多くあります。もちろん、農業会社は地域にはなくてはならない存在であり、今後、ますます大きな役割を果たすと思います。

○稲作は大きく変わりました。
 「おいしいお米、消費者に評価されるお米」を目指し、栽培方法を工夫したり、おいしい品種の開発に取り組んできました。
 米余りの時代となり、「米からバイオエタノールを作って燃料にする」とか「畜産飼料にする」など主食用以外の用途が強調されるようになったり、「外食産業向けの業務用米」が進められています。
 価格は安くても量が多ければ所得は同じという、「かけ算の論理」が幅をきかせています。
 実際は、面積が同じでも収穫量が増えれば、作業時間が増えたり、機械の消耗が激しくなり、経費もリスクも上がってくるのですが、「かけ算の論理」の勢いのもとでは、軽視されています。

○食料の役割が変わりました。
 「基本的な食料はできるだけ国内自給すべき」「農産物は自由貿易にはそぐわない」という世界から、「ガット農業合意以降、コメも豊作であっても輸入する」「農業者も輸出してもうけるべき」という世界となりました。
 以前、食料輸入国の日本は「食料輸出国が不作になったら輸出しないという『輸出規制』は、輸入国が困るので反対」と主張していましたが、日本が恒常的に米を輸出するようになれば、「国内で不足しても輸出はしなければいけない」ということになるのでしょう。

○農業現場の一体感が弱まりました。
 食料の自由貿易(実際は輸入拡大の強制)に対しては、農業者も。農業団体も、行政も一体となって反対してきました。
 現在では、「いろんな事情があるので、輸入拡大やむなし」の声が大きく、農業者の切実な訴えは「孤立無援」に近い状況です。
 JAも経営基盤が大きくなり、農業者としては複雑な思いがあります。

 まだまだ続くのですが、時間切れになりそうなので、ここまでとしておきます。
 新しい元号を迎えての願いなどは、後日に譲ります。

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