順調にとけています。電信柱のまわりのとけ方が特徴的です。
さて、本題です。
何十年も、農業者は米の生産調整に取り組んでいます。
気持ちとしては「コメ余りといわれるなか、米の生産量を抑えて価格を(生産が続けられる水準に)維持したい」ということがあります。
実際には、人口減による消費量の減少に加え、恒常的な外国からの米の輸入、外食産業によるコメの節約(お弁当のご飯を節約したり、回転寿司のシャリを節約したりなど)などもあり、生産調整に取り組んでも、価格の低下傾向に歯止めがかかりません。
生産調整の仕組み自体が機能していないと思っています。
しかし、「仕組みが機能していない」と認める人は極めて少ないです。
大抵は、「生産調整に取り組まない人がいるから価格が下がっている」と、『農業者が自らの首を絞めている』というようなニュアンスが主流です。
確かに、「生産調整に取り組まない農業者」はいます。そして、そのせいにすれば、「生産調整が機能しているか否かの根本問題」に触れずに、農業者のみに責任とすることができます。
これで良いのでしょうか。
米の価格低下傾向は、「生産調整の未達成による影響」を遙かに超えているのではないでしょうか。
農業経営の厳しさに左右されずに、安定した生活が保障されている(ちょっと表現が過激でしょうか)農業経営研究者の方には、客観的な研究をしていただきたいものです。
来年からは、国は生産調整から手を引くことになります。
これにより「生産調整の仕組みが機能していないこと」の責任から逃れようとしているのでしょう。
稲作農業経営が維持できなくなる状態が続けば、輸入米が一般的になり、「国産米を変えるのは一定の所得のある層」に限定されてしまいます。
もはや、「瑞穂の国」は名ばかりです。
もっともっと、みんなで知恵を出し合うとともに、国には「聞く耳」をもってほしいと切望しています。